「後継者がいないので会社を売ることを考え始めた」「同業の会社から事業を買わないかと声がかかった」――非上場会社のM&Aは、もはや上場企業だけの話ではありません。この記事では、株式譲渡と事業譲渡の違い、基本合意からデューデリジェンス・最終契約までの流れ、表明保証と補償の考え方、従業員・取引先の引継ぎの要点を、会社法・民法の条文に沿って整理します。
株式譲渡と事業譲渡はどこが違うのか
中小企業のM&Aの手法は合併や会社分割を含めていくつもありますが、実務の大半は「株式譲渡」と「事業譲渡」のどちらかです。両者の違いは、ひと言でいえば「会社そのものを売るか、会社の中身を選んで売るか」です。
株式譲渡では、オーナー(株主)が保有する株式を買主に売ります。会社という法人はそのまま存続し、株主が入れ替わるだけですから、契約、雇用、許認可、債務はすべて会社に残ったまま買主の支配下に移ります。
事業譲渡では、会社が自分の事業(店舗、設備、在庫、取引契約、従業員、ノウハウなどの集合体)を買主の会社に売ります。売主は「会社」であり、代金も会社に入ります。引き継ぐ資産・契約・従業員を契約で特定するため、買主は簿外債務を切り離せる一方、契約や雇用は個別に承諾を取り直す必要があります。
| 比較項目 | 株式譲渡 | 事業譲渡 |
|---|---|---|
| 売主・代金の受取人 | 株主(経営者個人など) | 会社 |
| 引き継ぐ範囲 | 会社の全部(簿外債務も含む) | 契約で特定した資産・契約・従業員のみ |
| 取引先との契約 | 原則そのまま継続(チェンジ・オブ・コントロール条項に注意) | 相手方の承諾を得て個別に移転 |
| 従業員の雇用 | 会社に残るため原則変更なし | 個別の承諾が必要(民法625条1項) |
| 許認可 | 原則そのまま(業法上の届出が必要なことあり) | 買主が新たに取得(承継規定がある業法を除く) |
| 会社法上の主な手続 | 譲渡制限株式の承認(136条以下) | 株主総会の特別決議(467条・309条2項)、反対株主の買取請求(469条) |
| 売主の競業避止 | 法定の規定なし(契約で定める) | 同一・隣接市町村で20年間(21条1項) |
どちらを選ぶか ― 判断の軸と典型例
どちらが有利かは売主と買主で見方が異なります。判断の軸は、おおむね次の4点です。
- 引き継ぎたくないものがあるか:買主が特定の事業だけ欲しい、あるいは過去の未払残業代・保証債務・訴訟リスクを引き継ぎたくない場合は、事業譲渡が選ばれやすくなります。
- 契約・許認可・従業員の数:取引先や従業員が多く、許認可が事業の生命線である業種(建設、運送、医療・介護など)では、個別承諾や再取得の負担が大きいため、株式譲渡が現実的です。
- 対価を誰が受け取るか:経営者が引退資金として受け取りたいなら株式譲渡、会社に資金を残して債務の返済や別事業に充てたいなら事業譲渡が自然です。税負担も手法で異なります。
- 株主の状況:株式が親族や元役員に分散して全員の同意が取れそうにない場合、株式譲渡では買主が100%を取得できません。事業譲渡なら株主総会の特別決議で進められる反面、反対株主の株式買取請求(会社法469条)を受ける可能性があります。
典型例としては、後継者不在の製造業オーナーが会社ごと同業に引き継ぐ場合は株式譲渡、複数店舗の飲食会社が一部店舗だけを手放す場合は事業譲渡が選ばれることが多いです。
手法の選択は「どちらが得か」ではなく「何を引き継ぎ、何を切り離すか」「誰が代金を受け取るか」で決まります。契約書を書き始める前にこの2点を売主・買主・税理士・弁護士で共有しておくと、後工程の手戻りが大きく減ります。
会社売却の手続の流れ ― 秘密保持契約からクロージングまで
M&Aは、初回の接触からクロージング(決済・引渡し)まで、中小企業でも半年から1年程度かかるのが一般的です。典型的な流れを表にまとめます。
| 段階 | 主な内容 | 法務上の留意点 |
|---|---|---|
| 1. 準備・相手探し | 売却方針の決定、企業概要書の作成、仲介者・アドバイザーの選定 | 仲介契約の手数料・専任期間・契約終了後の報酬条項を確認 |
| 2. 秘密保持契約(NDA) | 相手を特定して詳細情報を開示 | 目的外利用の禁止、従業員・取引先への接触禁止、情報の返還・廃棄 |
| 3. 基本合意書(LOI) | 手法、想定価格、独占交渉権、スケジュールの合意 | どの条項に法的拘束力を持たせるかを明記(通常は独占交渉・秘密保持・費用負担のみ) |
| 4. デューデリジェンス(DD) | 買主による財務・税務・法務・労務の調査 | 売主は資料を正確に開示。隠した事項は後の表明保証違反に直結 |
| 5. 最終契約書 | 価格、支払条件、表明保証、補償、前提条件、競業避止の確定 | DDで見つかった問題を価格・補償・前提条件のどれで処理するかを決める |
| 6. 会社法上の手続 | 譲渡承認、株主総会決議、株主への通知 | 期限と順序を誤ると効力に影響(次章) |
| 7. クロージング・その後 | 代金決済、株券・株主名簿・資産・契約の引渡し、役員変更登記、従業員・取引先への説明 | 前提条件の充足確認、売主の協力義務の期間、補償請求期限の管理 |
基本合意書の多くの条項に法的拘束力はありませんが、そこで示した価格や条件は、その後の交渉の出発点として事実上の拘束力を持ちます。
会社法上の手続 ― 譲渡承認・株主総会決議・競業避止
株式譲渡:譲渡制限株式の承認手続
中小企業の多くは、定款で株式の譲渡に会社の承認を要すると定めた非公開会社です。株主は会社に対し、買主が株式を取得することを承認するか否かの決定を請求でき(会社法136条)、会社は取締役会設置会社では取締役会、それ以外では株主総会の決議で決定し、請求者に通知します(139条)。請求の日から2週間以内に通知がなければ、承認したものとみなされます(145条1号)。承認しない場合、会社は自ら買い取るか指定買取人を指定しなければならず(140条)、売買価格は協議で決め、整わなければ通知から20日以内に裁判所へ価格決定の申立てができます(144条)。オーナー自身が承認権限を握っていて形式的に済む場合でも、議事録や通知書は必ず残してください。
事業譲渡:株主総会の特別決議と反対株主の買取請求
会社が事業の全部または重要な一部を譲渡する場合、効力発生日の前日までに株主総会の決議で契約の承認を受ける必要があります(467条1項1号・2号)。この決議は、議決権の過半数を有する株主が出席し、出席株主の議決権の3分の2以上の賛成を要する特別決議です(309条2項11号)。「重要な一部」からは、譲渡する資産の帳簿価額が総資産額の5分の1を超えないものが除かれます。買主側も、他の会社の事業の全部を譲り受ける場合は原則として特別決議が必要です(467条1項3号)。
事業譲渡をする会社は、効力発生日の20日前までに株主へ通知しなければならず(469条3項)、反対株主は自己の株式を公正な価格で買い取ることを請求できます(469条1項)。協議が整えば効力発生日から60日以内に支払い、整わなければ裁判所に価格決定の申立てができます(470条)。
事業譲渡後の競業避止と商号続用
事業を譲渡した会社は、別段の合意がない限り、同一の市町村と隣接する市町村の区域内で、譲渡日から20年間は同一の事業を行えません(21条1項)。特約で範囲を広げる場合も、効力は譲渡日から30年に限られます(21条2項)。
また、買主が売主の商号を引き続き使用する場合、買主も売主の事業によって生じた債務を弁済する責任を負います(22条1項)。避けるには、譲受け後遅滞なく、債務を負わない旨の登記か債権者への通知が必要です(22条2項)。
表明保証と補償 ― 「知らなかった」では済まない部分
最終契約書で最も交渉が集中するのが、表明保証と補償の条項です。表明保証とは、契約締結日やクロージング日の時点で一定の事実が真実かつ正確であることを相手方に表明し、保証する条項です。売主が表明保証する典型的な事項は次のとおりです。
- 株式を適法に保有し、第三者の権利が付いていないこと(株式譲渡の場合)
- 計算書類が適正に作成され、簿外債務がないこと
- 開示した契約以外に重要な契約がなく、契約違反や解除事由が生じていないこと
- 未払賃金・未払残業代・社会保険料の未納がないこと
- 許認可を適法に保有し、開示したもの以外に訴訟・紛争・クレームがないこと
違反があれば、相手方は補償条項に基づいて損害の補償を請求できます。重要なのは、表明保証は「売主が知っていたかどうか」と切り離して定められることが多い点です。売主が本当に知らなかった未払残業代であっても、「存在しない」と表明していれば違反になります。
売主がこのリスクを抑える手段は主に3つです。第1に、デューデリジェンスで正確に開示し、契約書の開示別紙に記載した事項を表明保証の対象から外すこと。第2に、「売主の知る限り」という知識限定を付けること。第3に、補償の上限額(譲渡代金の一定割合とすることが多い)、少額請求を排除する下限額、請求期間(クロージングから1〜2年程度が多く、税務・労務は長めに設定されることもある)を定めることです。買主側は逆に、開示別紙や知識限定の範囲が広すぎないか、補償上限が低すぎないかを点検します。
表明保証は、売主にとって「正直に全部開示した方が守られる」仕組みです。隠した事項は補償請求の対象になり、開示した事項は対象から外れます。デューデリジェンスへの協力を「自分を守る作業」と捉えることが、売主の最大のリスク対策です。
従業員・取引先・許認可の引継ぎ
従業員
株式譲渡では雇用主である会社に変更がないため、労働契約はそのまま続きます。
事業譲渡では、使用者は労働者の承諾を得なければその権利を第三者に譲り渡せません(民法625条1項)。従業員一人ひとりの同意を得て買主と労働契約を結び直す必要があり、労働条件を引き下げる転籍は同意を得にくく、同意しない従業員は売主の会社に残ります。
取引先との契約
株式譲渡では契約の当事者は変わりませんが、取引基本契約や賃貸借契約、融資契約には「経営権や主要株主が変動した場合は事前通知または承諾を要する」というチェンジ・オブ・コントロール条項が入っていることがあり、事前の承諾取得が必要になります。
事業譲渡では、契約上の地位を移すのに相手方の承諾が必要です。売掛金などの債権は原則として譲渡でき(民法466条1項)、債務者への通知または承諾が対抗要件です(467条1項)。店舗の賃借権を移すには賃貸人の承諾が必要で、無断で譲渡すると解除されるおそれがあります(612条)。
許認可
許認可は、株式譲渡なら会社に残るため原則維持されますが、役員や株主の変更の届出を求める業法は少なくありません。事業譲渡では、承継規定のある業法を除き買主が新規に取得する必要があり、取得までの空白期間が生じます。
よくある質問(FAQ)
株式譲渡と事業譲渡はどちらが売主に有利ですか?
事業譲渡をすれば従業員は自動的に買主の会社に移りますか?
譲渡制限株式の譲渡承認は、どのくらいの期間で結論が出ますか?
表明保証に違反したら、売主はいくらまで責任を負いますか?
事業を売った後、近くで同じ商売を始めることはできますか?
まとめ
- 株式譲渡は「会社そのもの」を株主が売る手法、事業譲渡は「会社の中身」を会社が選んで売る手法です。引き継ぐ範囲と代金の受取人が根本的に異なります。
- 事業譲渡では契約・雇用・許認可を個別に移す必要があり、従業員の移転には本人の承諾が必要です(民法625条1項)。労働契約承継法は適用されません。
- 株式譲渡では譲渡制限株式の承認手続(会社法136条以下、2週間のみなし承認)、事業譲渡では株主総会の特別決議(467条・309条2項)、反対株主の買取請求(469条)、20年間の競業避止(21条)に注意が必要です。
- 表明保証は売主が「知らなかった」事項にも及び得ます。正確に開示し、補償の上限・下限・期間を定めることが売主の最大の防御です。
M&Aは経営者にとって一生に一度あるかないかの取引であり、相手方には経験を積んだアドバイザーが付いていることも多いものです。当事務所の顧問弁護士サービスでは、売却準備の段階からの手法選択、秘密保持契約・基本合意書のチェック、デューデリジェンス対応、最終契約の表明保証・補償条項の交渉まで、チャット・オンラインで全国の経営者をサポートしています。まずはお問い合わせ(無料相談)からご連絡ください。
※ 本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり、個別の事案に対する法的助言ではありません。法令・制度の内容は公開日時点のものです。具体的なご対応にあたっては、最新の法令をご確認のうえ、弁護士にご相談ください。
